大正~昭和を代表する挿絵画家の蕗谷虹児と高畠華宵のポストカードです。
蕗谷虹児《わがATELIER》
蕗谷虹児《わがATELIER》, 1925年
蕗谷虹児は大正から昭和にかけて、抒情的な画風で一世を風靡した挿絵画家です。雑誌の挿絵のほか、自ら詩を手掛け詩画集を出版しました。
媒体や時代によって画風が異なりますが、私が好きなのはこちらのようなペン画です。
この作品では空間恐怖症かのように緻密な線と柄でうめつくしています。
ステンドグラスのなかに、飾りかのようにサインが入っているのが面白いですね。
蕗谷虹児に影響を受けたアーティストは星の数ほどいると思いますが、おそらく魔夜峰央先生もそうですよね?ご出身も同じく新潟県ですし……。もっと前をたどれば、当然ビアズリーになるのでしょうが。
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蕗谷虹児《CUPIDを飼ふひと》
蕗谷虹児《CUPIDを飼ふひと》, 1935年
こちらもペン画で、女の子が小さな愛らしいキューピッドを鳥籠で飼っています。
二色刷りであることを活かし、女の子の肌と薔薇のつぼみ、キューピッドを白抜きにしてアクセントにしているのが美しいです。
女の子の手のたおやかさ、横顔の涼やかさといったら!当時の女学生はうっとりしてこの画を眺めたことでしょう。
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蕗谷虹児《花嫁》
蕗谷虹児《花嫁》, 1968年
誰もが一度はきいたことがある「金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮は何故泣くのだろ」という歌い出しの『花嫁人形』を作詞したのも実は蕗谷虹児です。
1924年に「令女界」に掲載された『花嫁人形』は詩画集『悲しき微笑』に転載され評判となり、ヴァイオリニスト・作曲家の杉山長谷夫により曲がつけられ童謡となりました。
この画は1968年に描かれたものです。
美しい花嫁さん。しかし詩を知っている先入観からか、どこか悲しみをたたえているような印象を受けます。
(参考資料:『河出書房新社 らんぷの本 蕗谷虹児』)
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高畠華宵《サロメ》
高畠華宵《サロメ》, 1930年, 弥生美術館
2020年に東京国立近代美術館にて開催された「あやしい絵」にて購入したポストカードです。
高畠華宵は大正から昭和初期にかけて、独特の色っぽい少年少女を描き絶大な人気を得た画家・挿絵画家です。
この画は、ビアズリーはもちろんのこと、多くの芸術家に描かれ続けている「サロメ」を題材にしています。
サロメがヨハネを愛し、誘惑を拒絶されたことで彼をわがものにしたくて斬首を求め、その口にくちづけするという、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の解釈およびビアズリーの画を下敷きにしていることは明らかです。
祝宴での舞踏の褒美として与えられた洗礼者ヨハネの首を皿にのせ、官能的に見つめているサロメ。高畠華宵の独特の色っぽい三白眼は、ぞくっとする妖気を漂わせています。装身具の描写の細やかさも見ものです。
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高畠華宵《『少女画報』14巻8号》
高畠華宵《『少女画報』14巻8号》, 1925年, 弥生美術館
こちらも「あやしい絵」にて購入したものです。
うつろな色っぽい目で空を見つめる少女。水着を着ており、海に遊びにきたっぽいですが海感はゼロ。日焼けもする気ゼロのアンニュイな美少女です。
『少女画報』14巻8号が1925年の何月に発行されたのか調べてもわからなかったのですが、おそらく夏号ということですよね。夏、水着というお題でここまで夏感がない画も珍しい。
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高畠華宵《雨中の銃声》
高畠華宵《雨中の銃声》, 1930年, 弥生美術館
弥生美術館で購入したポストカードです。
美少年剣士を描かせたら高畠華宵の右に出る者はいません!
当時の男の子たちはこの画を見て胸を沸き立たせ、そして女の子たちは今でいうBLの感覚でドキドキしていたことでしょう。
状況がよくわかりませんが、例の三白眼と袴からはだけた足が色っぽい。ふくらはぎの盛り上がり方の描写にこだわりを感じます。
(参考資料:中村圭子『昭和美少年手帖』)
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次回は小林かいちのポストカードの紹介をしようと思います。
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